フォト

大サービス¥

無料ブログはココログ

検索フレーズランキング

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

パソコン・インターネット

2016.05.29

人権交代。

Jinkenkoutai

煩い夏

 

定額給付金

にほんブログ村 芸能ブログ 素人・プチ芸能人へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ ブラックユーモアへ

ガチャピン テレフォン ショッキング クリア ショット 流出 手直し amazon 嫌がらせ 大手 情報処理 学会 ロック 合意 SIM 母国 コンピューター ばあちゃん 小倉 智昭 理 報 将棋 連盟 春香 茂 ;/&# ━( !( エンジェルビーツ ;→&# 梱 ブーム 今年 女神 転生 レビューハイスコア STRANGE JOURNEY デススマイルズ フェイス 今夏 Killzone Ubisoft Splinter Cell Conviction DRM トラブル Red トレイラー ゲームプレイトレイラー 元 セ )━ ガ ━! ょこたん ワロタ 模様 解像度 RBB TODAY ブロード リサーチ 回答 破壊 Split Second GTA Episodes From Liberty City スクリーン Microsoft コントローラー 類似 Datel 訴訟 SEO 利 長距離 ヘッド Sniper Ghost Warrior 上田 文人 ICO 移植 ワンダ 巨像 THQ Faction 洋 オススメ 名刺 感謝 オールスター 東原 亜希 鶴岡 八幡宮 ぎんなん 神木 倒壊 術 ダイヤモンド 坊 ズブ 濡れ 復活 ハック ハッカー 村 唯 医 師 辞 意 献 身 唯一 医師 辞意 献身 村人 罵声 背景 秋田 上小阿仁 実在 切 Lead off man 関係 先 要素 湯 ペ 切り 不要 焼きそば スープ そば 試食 医療 村民 コート 疑問 Move ナムコ 揺らぎ !」 ロックシューター ゚ アルター 告知 ムービー 放浪 息子 CAST アフレコ リュック 供述 ウインドウ 出し タブブラウザ デジ ドア 売却 応援 アトリエ 志村 貴子 費 MOVIE STAND BY READY それ 硫化 水素 自殺 本質 窓辺 なみ 区 地区 街 新曲 CG 録音 MB ナビ コトブキヤ シー・シェパード 幼稚園

2016.05.15

(再)夢と夢のちがいについて

 ・

「夢はきっとかなう」

そう言いつづけて信念を曲げない人がいるけど
これにはひとつ見落としがちな盲点があって
彼らの大半は「夢がきっちりかなった」成功者だ。

だから彼らのいってることはある意味正しいし、
でもまたある意味間違ってるともいえる。

夢をかなえてからいうのだから非常に説得性があるよね。
けれどもそれがまだ成功を収めるに至っていない人間に対して
絶対的な答えかというと、それはちがうだろう。

夢はかなうかもしれないし、かなわないかもしれない。
努力才能云々で説得性を上げようとする人もいますが、
でもやっぱり最終「運」も大きく関わりますからね。

逆に
「夢なんてみるだけ無駄」
そういう信念を築き上げてしまった人も数多くいる。
これもひとつの真実でしょう。
なぜなら彼らの大半も「夢がかなわなかった」不成功者だから。

つまりどちらの意見に動かされるも
自身の勝手であるのだけど、
どうせなら気持ちよく夢をみるほうがいいに決まってる。

ってことでまだ成功に至っていない「若者(と呼ばれるもの)」の多くが
成功者のドリームを信じて、自分も夢がかなうことを夢みるが通常となったのだと思う。

 ・

ところが最近少し事情が変わってきましたよね。

不況ですから、はやくから夢を破り捨て、現実対処でき得る範囲内で
『手堅くガッチリ入院保険』てなキャッチ宜しく
早々と公務員などを目指す。(まァ今の時代いつ国が滅びるかわからんくらいに
景気冷え込んでるからそれが着実なのかどうなのかは疑問ですが)

夢みるとはある種、バクチです。
だからそんな危険と隣り合わせで夢を追える
勇気と情熱を兼ね備えた猛者だけが夢みれた。今までは、ですけど。

そんな折、コンピュータネットワークがみるみる地球上を覆い、
夢追わずとも、夢が気軽に見れてしまう奇妙な環境が整ってしまった。

それがつまり「仮想現実」であり「拡張現実」であり「妄想」です。

夢なわけです。
もはや実際脳内でみる夢と、かなえようとする夢とが
ごっちゃになってしまった。仮想だろうが現実だろうが
気持ちの良さは同じなのだからどちらでもいいしどっちがっつーと
楽に夢みれるほうがいい。んなわけで妄想が夢以上に勝ってしまった。

なりたいヤツはなったらいい。けどオレは才能ねーし、やるだけ無駄。
妄想してるほーが全然いーわ。おまいらもっとオレに妄想おくれ¥

そんな自堕落な半絶望状態の仮想人間が世界じゅうに増えている。
それがコスプレ同人文化。日本の誇り得る文化の正体がコレだわ。

 ・

夢に生きる

それはとてもきこえの良いフレーズだけども、
到底それだけじゃ食べていけないし、逆にこれだけで食べられる人ばっかだと
さらに経済が衰退する。夢は究極タダでも見れるもんだからです。
夢売るだけで食いつないでる人間はまるで漠のよう。
夢見る人間が夢見るためにさらに夢を買う。おかしな時代になったもんです。

あ。お菓子か、某Y新聞のダジャレじゃないですけど
今偶然、おかしとお菓子が自分のなかで結びつきました。でも笑えないなやっぱり;

夢はお菓子ですよね。お笑いもお菓子パンとサーカス」。
そう、パンあってこそのサーカスなわけだから、
やっぱ夢みる人だけではやってけない。

オタクが一般まで普及してしまった80年代以降、
夢破れてからもまだ仮想で夢みて誰も勤労従事しないとあっては

行く先未来、 リアルも夢マボロシのごとく消えるかも

ハイスクール鬼面組の『夢オチ』みたく! 笑

※ 今日、生態系にまつわる環境の話をするつもりだったのに、
  思わず
横道世之介 してしまいました。ご勘弁ください。
               また次回に繰り越しま~す!

にほんブログ村 芸能ブログ 素人・プチ芸能人へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ ブラックユーモアへ ブログランキング

2016.03.31

★★★パワートゥーザピーポ! バカに力を!! ★★★

ナメハメハ お便器ですか 久方ブリブリうんこ 今出たとこ いっぱい食べなさい
射精と冗談は顔だけにして ホンマにもう(ウソ!)
毎年毎年ご無礼サマです
ニッポン全国 つ つ うらうら 春うらら
明日はどこでも四月バカ *

Rihabiribiri9

で? 今年どうすん?やるの?
アタクシないアタマ振り乱して必死に考えもした
時代のながれについてけない 
ものおぼえがわるい ハキハキしゃべれない
テキパキ動けない 関係ギクシャク
叱られっぱなし おいてけぼり
脈がない 会話がない ひとりぼっち
アカンもうダメ ウツなりそう
今年もヤなこといっぱいあった ウンザリするほど!!
どうせ棄てるんでしょ いつか滅びるんでしょ
もうジッとしてなんかいられない
恥を捨てよう 町で出よう
答えはイエス!‼!‼!


さあ バカ見の季節です!!
皆さん おカラダ拝借 パパンがパン
ええじゃないか ええじゃないか
 無人なって踊ろ ♪♪
んなバカなこと
ずっとやりつづけるだなんて
なんて四月バカな人!(ホント!)

2015.06.20

オレの失敗は蜜の味 - 失敗について -

 やれ打つな 蠅が手を擦り足を擦り

ダメでした そうカンタンに蠅を打ち殺せなんだ。

いつもの僕らならいとも容易く蠅を退治してるところなんですが、

仏教にまつわる選書を紐解いたからでしょう。

なんだか妙に慈愛が芽生えてしまって
目を凝らして蠅をじっとみてると憐憫の情が沸いてきて

お前は運がいい 今日の俺は殺生する気分ではないのだ さあ行くがいい

とばかり 誰もいない 直射日光に照らされギンギンに焼けた 六畳一間の部屋の簾の涼みで

アタクシはもごもごと独りごちながら 蠅叩きの柄の部分で蠅を追い払う。

 人間そんなもんス

身に付くには到底及ばない付け焼刃な勉強でも、
ついついその気になって「今日から俺は変わった」
「今までの俺とはもうちがうのだ」
みたく
これまた誰もいないのに天に向かい高らか公明正大に宣言したりなどして

丸三日、悦に浸る。 して三日後またキレイさっぱり忘れてしまう、と。

でもフツーそれ一回だけではまったく諦めがつきませんよね。

だから人は何度も何度も同じ過ちを繰り返し、そしてデッカくなっちまう

成長すると思ってる人いるかもしれませんが、この言い方にはロジックがあるので
あんまり使いたくない。ただノウノウと何も噛締めず生きてるだけでは
人間まったく成長しません。否、カラダは時の経過とともに自然デッカくはなるでしょうが、
頭の記憶は 成長しようとする意識がないことには ずっと止まったままなんです。

そりゃあまったく成長しないだなんて人間の頭をもってすれば
たとえどんなにIQ低かろうが不可能に近いことと思う。

でも成長しようと積極的に頭を働かす人とそうでない人を比較すれば
その差には大きな開きがあるはず。

とにかく動くこと動くこと そして考える
動きを続けるには失敗を恐れぬ気構えがいる。

失敗を恐れぬということは何も省みるなということではない。
逆に恐れぬからこそ何度も何度も省みることが可能なんです。

失敗を恐れぬということは失敗を楽しむということでもある。
失敗を遊ぶのです。

こういうとまた世間様からお叱り喰らいそうですが、
もちろん失敗は苦しいものです。失敗はしょっぱい味だ。
でも「良薬口に苦し」と申しますように、
失敗は人生において欠かせない絶妙なスパイスともいえるわけです。

 ・

作品においての失敗は「駄作」と呼びますね。

神経質、完ぺき主義等でそれを嫌う作家も多いと思うんですが、

美術家 横尾忠則氏がキリコを語る文章で
こんなことをいってました。以下抜粋。

‥キリコは20代で「形而上絵画」を描いた後、古典的な絵画の模写を始めます。まるで画学生のように。以降の作品はみな三流という評価です。
でも、僕はよくサインを入れたなあ、とあきれるような絵が好きなんですよ。完成作に秘密はありません。世間が駄作、失敗作と呼ぶ作品は、作者が隠さないといけない本音を漏らしていて、発掘できるものが多い。 /

つまり藝術においても失敗は、まったく活きないわけではなく
こうしたカルトな楽しみ方をしてくれる人にとっては、
よりミステリアスで良質なエンターテイメントたり得る、
ま、全部がそうとはいえないでしょうが、可能性がゼロとはいえないわけです。
全力で絶望に打ちひしがれる必要はない、と。(太宰風パフォーマンスで売りたい人は別ですケド)

 ・

これもよくある話なんで、ついでに申し付け加えますと
ネット世界においても同じことがいえる。

ネットブームの火は拍車するいっぽうだから、
ネットに夢中なあまり全力でリアルを投入する人がたくさんいますよね。
これはとても危険な行為です。

ネットはリアルとはちがいあくまで仮想なんだから、全力で臨むと必ずどこかで裏切られる。そのギャップが絶望を生むのです。

全力で臨む人たちはそれだけ純粋で素直なコってことだから
非常に酷な話かもしれないんですが、
でもだからこそ そういう繊細なコたちを救済したいと思う。

たとえ失敗しても、繰り返し繰り返し
アタクシはこうして警鐘を打ち鳴らしつづけるのです 反面ギャグで

いま分かり合えなくてもいい。
ただ絶望して自ら死を選ぶくらいなら、
ネットをお切りなさい、と。

仮想空間を抜け出した後、それでもリアルに絶望を感じるようなら
まずアタクシんとこでバカになる勉強してから考えなおしなさい、と。

 ・

では さいごに
「おかしみの中に人生の深淵をのぞかせる」名随筆家 内田百閒の名言を寄せたい。

 知らないという事と忘れた事とは違う。
  忘れるには学問をしなければならない。
  忘れた後に本当の学問の効果が残る。

にほんブログ村 芸能ブログ 素人・プチ芸能人へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ ブラックユーモアへ

2015.04.02

パンチョリーナトドロキ 2015 梅田

2015.01.17

現在のネットは「群集」を生成する装置になっている

 インターネットの普及やソーシャルメディアの隆盛により、多くの人が自ら文章を書き、ネット上に流通させることが可能になった。こうした傾向は、インターネットや社会にどのような影響を及ぼしたのだろうか。また、こうした状況下で、文章を書く際には、どのようなことに留意すべきだろうか。

ネットは知識と同時に人間の感情も増幅している

― ネットの世界の現状について、どのように感じていますか。

■: ツールが人間の行動を変えることってありますよね。毛皮の服を着ると歩き方が変わったり車を買うと行動範囲が広がって性格もアクティブになったりするといったような。インターネットも同様で、ネットという技術のフィルタを通すと、それに関わる人間の様相が変わってしまうという部分があると思います。

 一番端的にいうと、日本人は特にだと思うのですが、集まると下品になるんですよ。慰安旅行に行って50人ぐらいで同じ浴衣着ると、もう“ゴミ”みたいな奴になるでしょ(笑)。 祭りで同じ半被着たり、学園祭で同じスタジャン着たりすると、思考能力が2割ぐらい落ちるような気がするじゃないですか。ある制服を着て、ある集まりの中にいると、頭を使わなくなってしまう。これを昔の言葉で「群集」というのですが、現在のネットは「群集」を生成する装置になっていると思います。

 1対1で普通に話せば、非常にまともで常識的な人間であっても、ネットの中で発言すると、わりとろくでもない奴になっているということがある。これが一番懸念しているところですね。

― ですが、やはりネットは、ツールとして便利ですよね。

■: Wikipediaなどが正にそうだと思うのですが、知識の到達範囲、5秒間で調べられるものの範囲が圧倒的に広がった。あるいは、何か発言した際の言葉の到達範囲が非常に広くなった。そういう意味では、人間の知的能力や情報把握の能力を増幅したと思うのですが、同時に怒りや妬みといった感情や残酷さも増幅していると思うんです。

 例えば、先日の猪瀬さんの一連の会見。あの吊るし上げみたいな会見をやっている都議会の人間や中継しているテレビの人間が、どうしようもなく残酷で品性下劣だという話ではないでしょう。我々の社会全体が、あの会見を喜ぶようなマインドセッティングにこの20年ぐらいの間になったと思うんですよ。なぜかというと、誰かの欠点、失策、失言を見つけると、ハイエナみたいに寄っていく人間の数とスピードが圧倒的に大きくなったからなんです。

 例えば、政治家の失言問題などがありますが、私が覚えている限り、昭和の時代でもバカなことを言っている政治家はたくさんいました。ありえないぐらいバカだったんですよ。しかし、そうした失言は翌日の新聞に載って、読者がお茶の間で「バカだなぁ」と騒いでいるだけで終わった。それが現在では、ネットで取り上げられて炎上して、ワイドショーが追っかけて、国会議員が予算委員で追求するといった流れになる。それで何人ものクビが飛んでいる。現在のインターネットはこうした負の影響を与える装置になっているという問題があります。

ネットメディアに覚える「素人が板場に立って料理しているような違和感」

― こうした傾向には、ネットメディアの影響もあると思いますが。

■: ネットは“素人”に大きな力を与えたと思います。つまり、ジャーナリズムの訓練を積んだり、既存のマスコミが培ってきた取材ノウハウをまったく持っていない人間が、ふらっと行って情報発信ができるようになった。この善悪を考えると、良い面も多いと思うのですが、やはり弊害も多い。

 例えば、新聞においては、一定の権限と責任をもった人間が、どのニュースを一面に掲載するのかを決めます。こうした作業を担当するのは、新聞社の中でも、経験を積んで、記者として一流だった人間の場合が多い。取材能力や記事を読み解く力が高く、この記事が一面である理由を説明できる人間が担当する作業です。我々素人が新聞を読んだときに、重大なニュースとどうでもいいニュースが、そのデスクの目によって編集されているわけです。それが“編集”というもので、新聞には衰えたりといえどもいまだにそういう能力があるわけです。

 ところが、ネットメディアというのは、こうした重要度の重み付けをそこらへんの“ニイちゃん”がやっている。Yahoo!ニュースのトップに上がっている記事が、非常にくだらないという事例を私は最近何度も目撃していますが、「あぁ、これはバカが作っているな」と思っています。バカというか何にも考えていないのかもしれない

 一方、新聞記者に会って話を聞くと、最近は記事を書く際にYahoo!ニュースのトップに掲載されることを目標にし始めているというんです。これは圧倒的にPVが多いからなのですが、PVを稼ぐために記事を作るという圧力が、記者の中にも働きつつある。これは非常に不健康なことだと思うんですね。

 なぜなら、PVという数字には、いかにバカを引き寄せるかという要素が少なからずあるからです。例えば、中韓をdisるみたいな記事をのっけると、それだけで見に来る人たちがネットの中にはウヨウヨいるわけですよ。単純にPVを稼ごうと思えば、見出しに「キムチが嫌いなパンチョ」とでもつけておけばいいわけですし、実際そうなっている記事がネットメディアには多い。

 本来、新聞の整理部のデスクがやっていたような仕事を、Yahoo!ニュースみたいなネットメディアでは、一昨日まで学生だったみたいな奴がやっているように感じます。あるいはネットメディアに就職しただけの、取材経験もなければ、記事をつくったこともなくて、文章を書いた経験もない、もしかしたら自分で新聞を読んでないかもしれない奴が「じゃあ、これトップにあげよう」と決めているかもしれない。そのくせ、その影響力はものすごく大きい。

― センセーショナルな見出しが目立つという傾向が、ネット上で増幅されている部分は確かにあります。

■: 新聞社というのは、この10年disられ続けてきました。記者は、黒塗りの車に旗を立てて、「どけどけ、俺が◯◯新聞だ」という取材をしていると思われている。実際にそういう取材もしているんでしょうし、彼らが偉そうに高い給料をもらって、庶民を見下すように記事を作っていたという部分だってあったのかもしれません。記者クラブというサークルを作って、外部の人間を排除して、自分たちの既得権益の中で情報を回していたというのも半分ぐらい本当のことでしょう。

 それでもなお、彼らは記者としての心得や、あるいは基本的な情報を取り扱う人間の最も基礎的なマナーを最低限もっている。だから、嫌な野郎であったり、思い上がっていたりという部分があるとしても、ジャーナリズムに関しての最低限の訓練を受けた上で取材をし、記事を書いている。これは非常に大切なことだと思うんです。

 例えば、警官は拳銃を持っていますが、彼らは拳銃を持っている人間がどうふるまうべきか、という常識とふるまい方を知っている。だからこそ、警官が住民に向かって発砲するような事件は、基本的に起こりえないし、誰かを撃ち殺したという事件もめったには起きない。それは、それだけ拳銃に対しての彼らの意識が高いということですよ。

 もちろん警官という人たちにはいろんな欠点があるだろうし、権力をもっていることによる思い上がりや腐敗があるのも間違いない。しかし、Yahoo!ポリスという自警団をつくって、「明日からおまわりさんはヤフーがやってくれよ」と、昨日まで学生だった奴がその辺の警備を始めたら、世の中はとんでもないことになると思うんですよ。

 それと、同じように記者やジャーナリストにも専門性と覚悟みたいなものがあるわけです。ネットにいる有象無象が情報を右に左にやっているということには、素人が板場に立って料理しているようで、怖さを感じるんですよ。手も洗わないような奴が魚をさばいているんじゃないかという違和感が、ここ最近目立ってきているように思います。

ネット上の発言は、文脈と切り離されて“物騒な言葉”になっていく

― 今ですと、Twitterでの発言なども、どこの誰が読むか分からないので、全方向に配慮して慎重になる必要があります。

■: 二者間の会話であれば、おまえの言っていることはちょっと無茶だよとか、俺の言っていることが一貫してないとか、パンチョダブスタじゃん、なんてことはよくあるわけです。「おまえ、さっきの話と違うじゃん」と言われて「あ、そうだっけ」みたいなことはよく起こる。でもTwitterは、たとえば私の場合100人ぐらいフォロワーがいるので、その論争を100人が見ているわけです。

 すると、論争相手のAさんに向けてではなく、100人にむけて発言しているという状況が出てくる。一種のプロレスみたいなものなので、すごく振りかぶって叩くわけです。本当だったら、「それわかんねぇ」といって終わりなんだけど、見物客がいるから、意識的な、一種の芸になっていく。だからこそ「普通の会話じゃない」ということを思い知るべきなんです。

 実際、私のところにも「キムチ好きですか?」という感じの質問がくるわけです。これは「好き」でも「嫌い」でも、どちらを答えても絶対ろくなことにはならない。質問自体が完全な罠で、「キムチ」という一種の炎上ワードが入っているので、好きだといえば、「あいつやっぱり在日じゃん」といったことを言いたがる奴が出てくる。一方「嫌いです」といえば、また別の炎上の仕方がある。現在のネット上、既に「キムチ」という単語がニュートラルに受け取られない言葉になっているという言論状況では、何かの質問に素直に答えてしまうということ事態が既に問題なんです。

 実際、私は、食べ物としてはキムチが嫌いなんですが、「嫌いです」といったときの反響まで考えなきゃいけない。これがブロッコリーなら違います。「ブロッコリー好きですか?」と聞かれて「あんま好きじゃないです」と答えても“ブロッコリー事件”みたいなものにはならない。でも、きっとキムチだと違ってくる。例えば能年玲奈ちゃんあたりの影響力のデカいアイドルさんが、「キムチ好きですか」と聞かれて「私、大嫌い」といったとすると、これは、大事件になりますよ、きっと。

 これは、ネットに集まっている人間のメンタリティーの問題ですね。炎上のネタを探している、ゲシュタポみたいな連中がいるんですよ。私と誰かが「キムチ好き?」みたいな会話していて、「嫌いだよ」と答えると、それをRTして「パンチョキムチ嫌いだってよ」と2chに貼りに行く奴がいる。そうなると、「こんにちわ、キムチ嫌いなパンチョさん」みたいに絡んでくる奴が間違いなく出てくる。

 さらには、「キムチが嫌いと表明することが、いかに多くの人を傷つけるか。あなたにはその自覚がないのですか」みたいな奴も必ず出てくる。あるいは「あなたは影響力のある立場の人間なのだから、『キムチが嫌い』だということをまっすぐに言っていいお立場だとお考えですか」みたいな奴も…。

 私は10年ぐらい前、こんな時代が荒れてなかったころに、「誰もすし屋でキムチを食いたいとは思わない」という比喩を原稿で使ったことがあります。これは、サッカー番組にお笑い芸人を呼ぶことに対して、サッカー番組に笑いを求めていない、ということを言いたかった。すしを食いたいならすし屋に行くし、キムチが食いたいなら焼肉屋に行く。そうした文脈で、サッカー番組にお笑い芸人が出てくるのは嫌だという意味で書きました。そしたら、半年ぐらい前に、誰かがこれを引用して拡散しているのを見つけたんですよ。でも「すし屋でキムチを食いたくないパンチョ」というのだけが拡散されると韓国人大嫌いの国粋主義者みたいじゃないですか。なので、今はもうそういう比喩は使いませんね。

― 特にTwitterなどの場合、前後の文脈と切り離されてしまうので、誤解される場合が多いですよね。

■: これはネット上でなければ、起こらないことです。実際に対面している人間との会話であれば、その発言のおかれている場所がわかるわけです。だから、食べ物の話の中で、キムチがでてきたということがわかる。

 「キムチ」という言葉に民族的偏見がこもっているかどうかはその文脈によるわけですが、ネットで発言された言葉というのは、引用されたり、RT拡散されたりする中で、文脈と切り離されて物騒な言葉になっていく。

― 猪瀬元都知事も、現在のような状況になって、あらためて昔のTweetを引用されたりしています。

■: 言葉ってある種揮発性があると思うんですよ。自民党の議員さんが、講演会でウケを狙ってちょっと無茶なことを言うみたいなことは昔からありました。それは落語家さんがテレビではできない話を寄席でするのと同じです。

 落語家さんは、自分の落語会などでは、差別ネタであったり、放送禁止用語を含んでいるようなやばい話を、下ネタを含めてやるわけですよ。それが、テレビの客とあなたたちは違うんですよ、というサービスの一つだった。それに対して客が「今日はいい話を聞いた」といって喜ぶのは、差別が好きだからというわけではありません。今のテレビは凄く不自由でいろんな言葉が排除されているので、廓話の演目なんてできない。そういう状況の中で、今日はせっかく来てくれたんだからと、落語家さんが「今日は吉原の面白い話をしましょう」という。テレビじゃできないし、ラジオでも掛けられない。だからこそ、客はそれをありがたがるわけです。

 同じように、自民党の政治家が自分の講演会に集まっている観衆に対し、「またうるさい左翼がね」みたいなことを言ったりするわけです。左側の政治家であれば、「うるさい、クソ右翼がきましてね」みたいな話をしているかもしれない。講演会の中の話ですから、そうした多少不適切な発言があったとしても、発言をした人間がとんでもない奴だというわけではない。にもかかわらず、こうした発言を全部拾って、「なんとかなう」みたいに拡散されていくのが今の時代ですね。


警告! ネットが人類をぼす日も近い?

2014.12.31

明るい未来

Miraimirai_2

2014.12.29

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

Tekito2015

2014.09.03

ビールじゃないよ サイバービア@ [[ 改訂版 ]]

つまり楽しい作品を世に送り出してる人気作家にしても
その作り手本人が作品作りを楽しんでるとは限らないのだ。

生みの苦しみで挫けてしまう人間も多い。

たまにニュースで、明るいイメージで売っており、悩みとは
全く無縁そうなタレントの自殺が報道されたりして、
その意外なギャップに驚かされることがある。

メディアの外から眺める我々は、ただ彼の“頑張り”による
明るさを“買って”楽しんでるだけであり、本当の彼はそうじゃないのだ。

とはいえそれを明るみにされることを彼は望まないだろう。
なぜなら彼は自分の根の部分の暗さが売れるとは決して思ってはいないから。

彼の判断はおよそ正しく、血迷って自分から暴露本や、方向性の転換を
明確に示した本を世に出した場合、ほとんどのタレントが潰される。

なかには同情からますます好きになったといってくれるコアなファンも
根強く残るかもしれないが、その多くは、お前の代わりはいくらでもいるのだ
いう態であっさり他の旬なタレントに乗り換えるはず。

そうなのだ。大衆は嘘でも無理して明るくさわやかに振舞うタレントがみたい。
しかもそれが嘘くさくなければ尚更盛り上がる。信じられるのだ。

最近、おばかタレントがモテ囃される理由も、それじゃないだろうか。

バカだから悩みも忘れて明るく生きられるはず、彼はそんなことじゃ落ち込まない、
私は悪口をいうキタナイ人間だけど、彼はきっと悪口なんか云わないし、
悪口をいってしまう私でもきっと優しく受け止めてくれる。良い人だもの *

信じてくれてありがとう、と ww

と、このように
受け手と送り手の読み方のちがい、楽しみ方のちがいは明らかである。

現代社会には「明るく元気に!」という姿勢が
過度に強調される傾向があって、内向的な人が多少無理を強いられてるという側面があるけど

だが 人にはそれぞれ性格ってもんがある

もし業界のなかが実際にこうしたイメージどおりの人間ばかりだとしたら
かなり偏った、それこそ現実社会とは全く異質の世界ということになる。

でも、そうじゃないし、そうならないからこそ
我々は現実の夢として、彼らの頑張りを買って応援する気にもなるのだろう。

矛盾してるのは
自分で夢を買っておいて、いざ恐いもの見たさの利己的好奇心から
現実を暴きに向い、それで夢を壊されたといって失望するファンの身勝手さである。

じゃあ覗くなよ、調べるなよ、と。  ポストにマヨネーズ

まず十中八九、メディアを利用して売る人間の顔は、本人の素顔と一致しない。
それを知ってて、知りに行くのだから、失望するのは自業自得のはずなのに、

それでいて罪をメディアの向こう側にいるタレントに擦り付けるのだ。
つくづく勝手だなぁと思う。

で、最近は受け手の意識しかなかったはずの我々までもが
素人ながら発信する側の遊びをするようになってしまったので
よけいに混乱をきたしておるよね。

名もなき素人とてメディア上のタレントと同じことでしょう?

だから
受け手と送り手の読み方のちがい、楽しみ方のちがい ね。

同じであるはずないんです 求める結果がちがうんだから。

出す者と、出される者、そしてまた第三者的に
噂的に横やり入れる者や、紹介で知る情報もあります。

またコピペ全盛のネット社会だから
どれがオリジナルなのか、判別がつかなくなるような事態にも陥ってる。

誰が誰に向けて発した情報なのかも判然としないまま
フィードバックを延々と繰り返し、それが無限の情報ループとなる。

そんな
サイバービア (電脳郊外)の網にかかり
ほぼ一日中ネットにかかりっきりの人が増えている。 

つまり世のネット化で、
つねに外部の人間として利用し好き勝手楽しんでいたメディア上の世界が、
我々の生活圏にまで及んでしまった。

それとどう向き合って生きていくのかが、今後の人類の課題なのだと思う。

つながりません 死ぬまでは !!!!

2014.07.08

■ 自分ユニット「ノリエガ」

この蒸し暑い時期に
これまたむさ苦しいど暑い男にからまれてしまった

黒服に黒ズボン全身黒尽くめの格好をしており
まるでエレカシの宮本のようだとは思ったが
彼以上に頭をよく掻き毟る

不潔そうだったので本当に痒いのだろう

彼以上にパサついたロン毛である

カリスマどころかもはやユスリカである
こっちまで痒くなる

なんでまたこんな暑い男に会ったかというと
彼からメールをいただいたからです

彼の沽券にも関わるので掲載はできぬが
とにかく不躾でたいへん気を悪くする内容のメールだった

のに会おうと思ったのは少し気がかりな点があったから

「コヤツ、俺と同じタイプの人間なのかもしれない‥」

かくいうアタクシも似たり寄ったりの
時に失礼を欠く言動をアジテートする人間以上人間未満である

なので、もし仮にリアルでそうでない人間ならば
アタクシが救ってやらねばなるまい
アタクシが解らずに誰が解ってやれようか

そういう使命感に駆られたからだ

で、会った

一瞬目にしただけでキビスを返したくなった
それほどまでにキョーレツな暑苦しさを放つ風貌だったのだ

「あ?うっそパンチョリーナじゃん。ホントにいたんだァ。へぇー」
益々嫌な予感がするダミ声だった

けれども
もはや逃げようもなく、苦虫をつぶしたような顔で振り向き会釈する

「は、はじめまシテェ!君がノリエガくん?」

次の瞬間
アタクシが発するより先にまるでマシンガンのように
彼のダミ声トークが炸裂した

すべて記すと夜も明けそうなので
ここではかいつまんで要点だけ絞って記録することにする

つまり彼曰く、
自分は劇団なのだという。

では役者は他にいるの?と問うと、
「そんなのいねーよ!」と。

じゃあ劇団ひとりなんだね。と相槌入れると、
「あんなお笑いと一緒にすんな!」と。

じゃあどうちがうの?と聞くと、
「ユニット組んでんだ、俺たち」と。

い、意味わかんないけど。と動じると、
「だーから、俺ん中で俺と俺たちがだよ
 常に円陣組んで芝居やってんだよ!
 頭わりーなーバカか?アンタ」

キリがないのでここらで彼の言い分をまとめると
こういうことになる

自分のなかにはたくさんの人格がいる。
それを自分は自分のなかで巧みに使い分けていて
ネット上で演技をしている。
2ちゃんねるやBBSなどで
多人数にみられるような言動を
独りで操り独りで芝居をつくるユニットである、と

嫌な予感は見事に的中したのだった

ノリエガと名乗るこの男は
アタクシと似て非なる愚行をやらかしている

だけれども何か根本的にちがうものを感じるのだった

たしかにやり方は同じなのかもしれない

けれどもコヤツには節操がない
根本的に礼儀知らズだ

おそらく彼の辞書には
「反省」の一文字もないであろう

アタクシはちがうのだった

自分で自分の過ちを刻印しながら生きている
だけれども内一点の光でも見出せはしないものかと
画策しているのだった

常識からは常識以上のものは生まれない
でも
間違いからは常識以上の間違いが生まれる可能性もあるのだと信じるがゆえ

アタクシは変化を求めている

常識からは得られないキズだらけの栄光が欲しい

そんなことを考えてるアタクシは、もはや彼の眼中にはないらしく
彼は自分の世界に入り込み
さらにノウノウと暑苦しく自論を多弁にまくしたてている

その間、ずっとアタクシは
まるで水のなかに潜っているかのように
生ぬるく反響する彼のダミ声を聞き流し
彼の時折見せる、掻き毟りや、瞬きを繰り返す瞳を見つめ、

なんだか急に哀しくなり涙したのだった

すると彼、

「ありがとう!!!!」

たぶん誤解で
共感してくれたと勘違いした彼はノリエガはえづきながら
これまた暑苦しく汗ばんだ毛むくじゃらの手で手を硬く握り締められ
アタクシ以上に号泣しはじめたのであった

以後、彼からのメールは
迷惑メール、スパムメールとして処理しております

さよなら 勘違いの同志。。。

sf.
先刻、当妄想日記のマンガ化を希望する方から
メールをいただいたのですが、
何分リアル格差社会に拘束された身の上の為、
余裕で余裕なしです!!!猶予ください!!!!
(そういや昔ゆうゆってタレントいたなァ)
どころか最近、楽器にはまっておりまして
弾けもしないのに暇あれば騒音かき鳴らしております

どこへ行く?!トドロキ!!??

より以前の記事一覧